私達の生きてきた歴史の中で人生の季節とも云われ出生から最後のお別れまで継承されてきた文化でもある「儀式」お宮参り・七五三・成人式・結婚式・銀婚式・金婚式・長寿祝いと、その多くは縁ある方々に祝福され感謝の意を伝える・感謝の心を呼び起こす行事とも云われております。
その感謝の意味としては、生まれてきた事・健やかに育ちゆく事・我が子への育ちゆく命の感謝・育ててくれた親に向けての感謝・永きに渡り人生を共にしたパートナーへの感謝・忘れてはいけないご先祖様への感謝など様々なものがあります。
共に喜びを分かち合い、共に感謝しその大切な儀式に向けて共に準備を行い、当たり前の事ですが何をとっても決して 1 人だけで出来ることではなく、絆で結ばれた人々がいてこその「分かち合う心の交流式」と言えるのかもしれません。
ある哲学者が「人間は儀式的動物である」との言葉を残しております。
ともすれば、儀式を通して祝福し感謝の心を知りゆくことで成長し、ご縁とは何かを学び本来あるべき人としての思いやりの根が育つのではないかと考えています。
私達は葬儀式に携わる立場として、日々「ご縁」の有り難さや尊さを学ばせていただいております。
決して風化させてはいけない出来事として、2011 年 3 月 11 日の東日本大震災・・・。
それまでは「葬式はいらない」「無縁社会」という論調もありましたが、ご家族が被害にあった皆様の気持ちはどうだったでしょうか。
何とか見つかって家族のもとに帰ってきてほしい、何とか葬儀はあげてあげたい、大切な家族のけじめとして、きちんとしたお別れをして見送ってあげたい・・・。
人生最後の儀式である「葬儀式」の重要さ、見送る側と見送られる側での、あるべき存在意義の必要さをあらためて問われたことであったのではないでしょうか。
これまで成長してきたことへの感謝、日々平和に暮らせていることの感謝、人生の卒業において絆を紡いでくれたことへの感謝、皆様の心に記した想いを伝えることとは何でしょうか・・・。
私事ではありますが先日、この幡多地区の歴史の書籍を拝読し昔の懐かしき写真を見た時、あらためて人と人とのご縁によって生かされていることに気付かされました。
これまでに頂きました、多くのご縁に感謝いたします。