つい先日、お墓参りに行った際の心温まる、ご家族の光景です。
「ここにいるご先祖さんのお陰で、婆ちゃんも○○ちゃんも生まれてこられたのよ。遠くにおるときでも、こっちに帰ってきたときも、ありがとうの気持ちを込めて、手を合わせてお祈りしょうね。」
小学生低学年と思しき女の子が目を閉じて合掌をし、帰り際に墓誌(ご先祖様代々の名前が彫られた石碑)を撫でながら「また来るね、ありがとう。バイバイ…。」
無縁社会と云われる昨今ですが、この様な光景を見ると、ご先祖様との繋がりを大切にしてきた文化、遠くにいても手を合わせ亡き人を想い、今自分たちが存在している事への感謝の念をもつこと。
それが、これから未来の有縁社会を作っていくうえでの、大事な基礎であり教育であるのではないかと考えさせられました。
私達が携わっている人生最後の儀式「葬儀」においては、全国的に死そのものを軽んじて考えられている傾向にあり、お孫様が参列しない、ご遺体の処理を第一の目的とする、家族で収骨をしない、長きにわたって培われてきた本来あるべき『亡き人の霊魂を、縁ある人々で弔い偲ぶ』姿が、少しずつ影を潜めているようにも感じております。
葬儀のルーツは一説によると、約 7 万年前のネアンデルタール人が遺体を葬り、花をささげる行為が始まりとも云われ、想像もつかない程の長い歴史においても、生者と亡き人のコミュニケーションシステムが確立され、文化として形を変えながらも今に受継がれてきたものと思います。
近年は
〇葬儀は身内に近い人間で
〇オリジナル性を出す
〇メッセージ性を出したい
〇子供たちに負担をかけないように
〇埋葬方法は永代供養や樹木葬で
などといった要望が事前相談で増加しています。
以前に比べ自由度が高く、小規模になってきたとはいえ、形は変わっても葬送の根底にあるのは生きた人の面影や物語を形作ること、通夜から葬儀、後に続く一連の行事が、ご遺族に決別の意思をもたらし、そこに『その人らしさ』を想い偲ぶ儀式で、あきらめや癒し、時間の経過とともに心の整理にもつながってくるとことが、考えられます。
私達は皆様が作ってきた文化と、それぞれの尊い歴史の中で、心に記した想いを『自分らしく』伝え、生きてきた証を継承できる環境作りを大切にし、1 人 1 人の「心記想伝」が、有縁な人々に残されていくことを強く願っております。