1人1人の生き方は違う・1つとして同じ人生はなし・100人いれば100通りの物語がある…。
これは今更ながらに思う事ですが、私達がこれからも忘れず、心に留めておかねばならないことです。
なぜならば、人生の総決算を任される立場にあり、「葬儀」は通り一遍の内容で良いはずはないと考えるからです。
以前、かわら版にも書きましたが、最近は全国の同業種の方々と交流を持ち、多くの意見交換もさせていただきますが、近年は葬儀の簡略化が増え、担当者自体が葬儀のあるべき本当の意義を忘れ、毎回代り映えのしない葬儀を右から左へながすように淡々と行っている、心の伴わない葬儀自体が増加していることに危惧しているといった声が多く聞かれております。
これは、老舗葬儀社だから任せて安心、ベテラン社員だから信用して大丈夫といった類のものではなく、会社としての取り組みと教育体制、葬儀という職種に携わるうえでの個々の心構え、これからはそういったことが強く求められる時代になってきたと思います。
葬儀の意味として、宗教的儀礼・社会的処理とも云われますが、多くの方が数十年の人生を生き、その中でできたご縁があり、お世話になった方、お世話をした方、中にはご遺族さえも知らない方もいて、そうして人生が、成り立っていたということを考えた時、時代の流れ、最近の流行りといった理由で、ご縁をなくしてしまうことは、総決算として勿体無いことであるのかもしれません。
決して、お金をかけ派手に大きな葬儀をするという意味合いではなく、通夜・葬儀の2日間が、故人様の在りし日を偲び濃密で感動的であったり、お世話になった故人様へ拍手や感謝状があったり、それを通して集まった皆様が、悲しいながらも温かい気持ちで見送りをし、この先の人生にプラスとなり、集まった皆様とのご縁を大切に思える、そんな人生の節目となるべき日であってほしいと願います。
私達もご家族の気持ちに寄り添い、故人様の辿ってきた足跡を偲び「心の葬儀」を提供する葬祭館であり、人でありたいと考えております。