大切な存在を失った時、もしくは失うかもしれない、こういった経験をした事のない人は、ほとんどいないと思います。
仮に高齢の親を亡くしたご遺族(御子息等)、もしくは若い世代の子供様を亡くされたご遺族様(親御様等)へ、皆様ならどの様なお声掛けをされますか?
「お父さんは、大往生でしたね…。」
「天寿を全うされてお母さんは幸せでしたね…。」
「まだまだ若いのに残念なことです。気をしっかりもって、頑張って下さい。」
ご遺族の心情とは、まさに百人百様でご身内の間でも、おかれた立場や環境によって思うこともそれぞれで、ましてや亡くなった方が、どんなに高齢でも家族にとっては
「まだまだ元気で生きていてほしかった。」「もっと親孝行をしたかった。」
若くして子供様を亡くされた親御様にとっても、
「本来ならば、生まれて数年も生きられないと云われた子供が、ここまで生きてくれて私達にとっては大往生です。」
良かれと思い、かけたつもりのお言葉が、かえってご遺族にとって本心とは逆の意味に なってしまうケースもあります。
ご身内を亡くした、ご遺族の反応として
・ショックの様な状態
・罪悪感や後悔にとらわれる
・感情が入り乱れ混乱している
・解放感や安堵感に満ちている
・心ここにあらず 茫然自失になっている
・激しく感情的になる
・生理的 身体的な症状(食欲低下や、過去の病気の症例がでる)
・何かを考えるよりも先に「本能」が「脳の活動」に制限をかける=心に蓋をしてしまう
上記で分かる事は、「大切な人ひとりが亡くなるという事は、ご家族の精神状態が、いつもと違って当たり前で、非常事態にあたる場合が多くある」という事です。
私自身も身内だからこそ話せない事、こんな時こそしっかりしなければ(弱みを見せられない)といった、本来の自分ではない姿で過ごさなければいけないご遺族を多く見てきております。
昔の葬送といえば縁ある人々が集い、親族が寄り添い互いの感情を汲み取り、悲しみを共有し解放する時間が多くあったのではないかと感じています。
このような機会を失いつつある現代において大切な人を亡くした方が周りにいた場合に
「話を聞く」「相談にのる」「愚痴を聞く」
それだけでもずいぶんと心が軽くなるとも云われております。
心に記した想いを伝えるとは、生前中のメッセージ・ご身内を亡くした家族からのメッセージ、共通している事は、ひとりで抱え込むのではなく、そのメッセージを受け止める役目になる人が必ずいることです。
私達は、まず皆様の大事な聞き役に徹することを心に留め、
「あの人に話せてよかった」
「あの人に聞いてもらって安心した」
そんな存在であるべきと考えております。